山崎種二
年表
西暦 | 和暦 | 出来事 |
1893年 | 明治26年 | 山崎種二、群馬県多野郡吉井町で誕生。 父は小百姓の山崎宇太郎。 |
1894年 | 明治27年 | 日清戦争勃発。 |
1895年 | 明治28年 | 下関条約締結。 |
1901年 | 明治34年 | 八幡製鉄所の操業が開始される。 |
1902年 | 明治35年 | 日英同盟が締結。 |
1904年 | 明治37年 | 日露戦争が勃発。 |
1905年 | 明治38年 | ポーツマス条約が締結。 ロシア革命。 |
1908年 | 明治41年 | 東京深川にある叔父山崎繁二郎の営む「山崎繁二郎商店」の小僧になる。 東京米穀物商品取引所発足。 戊辰の詔書。 |
1909年 | 明治42年 | 伊藤博文が暗殺される。 |
1914年 | 大正3年 | 山崎種二、徴兵検査を受け兵役に就く。 第一次世界大戦が勃発。 |
1917年 | 大正6年 | 叔父の山崎繁二郎が他界。 ロシア革命。 ベルサイユ条約が締結。 米騒動が発生。 米の査定所が設立される。 |
1920年 | 大正9年 | 山崎種二、結婚。長男の誕生。 国際連盟の発足。 第一次世界大戦後の経済恐慌が発生。 |
1921年 | 大正10年 | 横堀将軍石井定七に売り向かい、勝利。 |
1923年 | 大正12年 | 関東大震災が発生。 山崎繁二郎商店も被災し大きな損害を受け、廃業。 長女が誕生。 |
1924年 | 大正13年 | 「山崎種二商店(現在の株式会社ヤマタネ)」を創業。 |
1925年 | 大正14年 | 山崎種二、上げ相場により大損を被る。 次男富治が誕生。 普通選挙法が成立。 東京米穀商品取引所が閉鎖される。 |
1928年 | 昭和3年 | 山崎種二、店を合名会社組織にする。 高垣甚之助による買い占め。 |
1929年 | 昭和4年 | 次女が誕生。 世界大恐慌が発生。 |
1930年 | 昭和5年 | 金解禁。 |
1931年 | 昭和6年 | 金輸出再禁止により相場が大暴騰する。 山崎種二、この上げ相場で勝利。 満州事変が発生。 |
1932年 | 昭和7年 | 黒頭巾(伊東ハンニ)の買い占め。 山崎種二の店が、米穀商品取引所で業界第一位となる。 五・一五事件が勃発。 |
1933年 | 昭和8年 | 山崎種二商店の証券部門を創業。 日本が国際連盟を脱退する。 |
1935年 | 昭和10年 | 本社ビルが完成。 |
1936年 | 昭和11年 | 二・二六事件勃発。 |
1939年 | 昭和14年 | 山崎種二、株式相場に転身。入院をする。 第二次世界大戦が勃発。 米穀商品取引所が閉鎖。 米穀配給統制法が成立。 |
1940年 | 昭和15年 | 山崎種二、財団法人山崎学園を設立。 山崎種二、倉庫業に進出。 日独伊三国軍事同盟が締結される。 |
1941年 | 昭和16年 | 日米開戦。 |
1943年 | 昭和18年 | 日本証券取引所が発足。 |
1944年 | 昭和19年 | 「山崎証券(現在のSMBCフレンド証券)」を創業。 ブレトンウッズ協定締結。 |
1945年 | 昭和20年 | ポツダム宣言を受諾し、大東亜戦争が終結。 第一次農地改革。 財閥解体。 |
1946年 | 昭和21年 | 極東軍事裁判。 日本国憲法が公布される。 預金封鎖。新円の切り替え。 |
1947年 | 昭和22年 | 日本国憲法が施行。日本証券取引所の解散。 |
1949年 | 昭和24年 | 東京証券取引所の設立。 固定相場制(1ドル=360円)導入。 |
1950年 | 昭和25年 | 山崎種二、東京証券取引所に上場。 山崎種二、山種米穀株式会社を設立。 旭硝子事件。 スターリン暴落が発生。 朝鮮戦争が発生し、日本が朝鮮特需に沸く。(~1953年まで) 東証株価平均(ダウ式)発表され開始。 |
1951年 | 昭和26年 | 日本の株式市場、信用取引制度の成立。 サンフランシスコ平和条約を締結。 日米安全保障条約が締結。 |
1952年 | 昭和27年 | 東京穀物商品取引所の初代理事に就任。 東京穀物商品取引所が再開される。 |
1955年 | 昭和30年 | 日米経済講演会。 神武景気に入る。(~1957年まで) |
1956年 | 昭和31年 | 日ソ共同宣言。 国際連合加盟。 |
1958年 | 昭和33年 | 岩戸景気。(~1961年まで) |
1959年 | 昭和34年 | ベトナム戦争が勃発。(~1975年まで) |
1962年 | 昭和37年 | 山崎種二の妻、ふう他界。 |
1963年 | 昭和38年 | 日本共同証券が発足。 |
1965年 | 昭和40年 | 本社ビルが完成。 |
1966年 | 昭和41年 | 山崎種二、山種美術館を開館。 いざなぎ景気(~1970年まで) |
1971年 | 昭和46年 | 山崎証券、総合証券会社となる。 日中国交回復。スミソニアンレート(1ドル308円に移行) |
1971年 | 昭和48年 | 第一次石油危機。 変動相場制へ移行。 |
1974年 | 昭和49年 | 勲三等旭日中綬章を受ける。 |
1978年 | 昭和53年 | 日中平和友好条約を締結。 |
1983年 | 昭和58年 | 山崎種二死去。 ロッキード裁判。 |
山崎種二の生い立ち
貧乏なやんちゃ坊主
- 百姓の家に生まれたが、山間部の水呑み百姓の家で田んぼも畑も少なかった。
- 12歳~13歳のころ、道普請にも出た。
- 喧嘩好きで、成績は決して良くない方だった。
叔父の山崎繁二郎
- 12歳のときに状況、回米問屋渋沢商店に入り、倉庫業も経験。
- 独立して回米問屋を開いた。
- 明治30年、渋沢家が倉庫部を設立する際、渋沢家、渋沢商店とともに繁二郎も自身の倉庫を現物出資している。
- 龍門社を通じて浅野総一郎、大倉喜八郎、清水釘吉など財界と交流。
- 明治末期に財産50万円と財産家だった。(第一回全国金満家調べ)
- 島津、細川、相良、鍋島といった元大名から小作米の売りさばきを引き受け。
- 山形酒田の本間家のコメも取り扱っていた。
働き一両 考え五両
- 倉庫にニワトリを飼い、俵からこぼれ落ちた米を食べさせ育てた。
- ニワトリが卵を産んで増えた。卵の収入を得た。
- 米俵を噛み破るネズミをネズミ捕りで捕獲した。
- ペストが流行していたため、ネズミを交番に持って行くと売れた。
「成名毎在窮苦日(名を成すはつねに窮苦の日にある)」
「敗事多因得意時(敗れること多くは得意の時による)」
出所は福沢諭吉。この言葉を渋沢栄一が額皿に大書した。
この額皿を山崎種二は、穀物商品取引所の理事長室に飾っていた。
災害に襲われる
1917年高波の被害
1917年(大正6年)、叔父山崎繁二郎が死去した年の秋。
大嵐を受け、満潮時に高波を食らう。
倉庫の米俵の下3段が水に漬かる被害。
塩気を抜くなど醸造用の原料や肥料用として売れる米に仕上げ、3年をかけ全て売り切った。
損害を小さくすることにも全力を注ぐ人だった。
関東大震災
勤めていた山崎繁二郎商店や倉庫が倒壊。
手提げ金庫をハシケにくくりつけ、火の手から命からがら逃げる。
山崎種二VS相場師
激戦!米相場!横堀将軍「石井定七」との戦い
石井定七は、滋賀県出身の相場師。
材木商から身を起こし、材木の買い占め、
第一次世界大戦時の米相場での買い占めで成功。
綿糸から銅山まで事業を拡大させ連戦連勝。
大阪横堀に邸宅をかまえ、横堀将軍と呼ばれた。
大正9年の末には経済恐慌と6300万石の大豊作で米相場は売り叩かれていた。米相場は戻り始めつつあり。
植え付けは順調で天候にも恵まれていた。
しかし、土用から8月いっぱい雨ばかり。
7月石井定七は大阪・堂島の十四の機関店を通じて買い占め始める。春に26~27円だったものが秋には40円台。堂島、蛎殻町の両清算市場で買い、堂島で50万石、東京で30万石、合計80万石。
11月限の納会で一石あたり45円余りで50万石(受け米代金は2300万円)をこえる実米を受けた。
回米問屋筋が全国からの米を手当てし売り向かう。東京深川で春に15~16万石程度の在庫だったものが10月には40万石以上が集まった。
買い方の石井定七は買い取った米を処分できないため、結局売り方にまわっていた山繁商店に処分を依頼することになった。
売り方にまわった山繁商店は、本業の委託米売りさばき、サヤ取り、そして石井定七の米の処分で大きく儲けた。
石井定七は「借金王」と呼ばれていた。担保を二重に使い資金を集めるなどしていたと言う。
激突!米相場!「高垣甚之助」との戦い
昭和3年、高垣甚之助が米相場で買い占めをかけてきた。高垣は蛎殻町の清算市場で買いまくる。背後に久原房之助か伊東ハンニが噂された。
これに対して、深川の回米問屋筋は売り向かう。不作予想が出ていたために相場は上昇相場を見せたため回米問屋筋たちは踏み上げられる。10月初め、一石あたり38円39銭の高値をつける。ここに一斉に売り浴びせたため、相場は急反落。先限は底割れ。
高垣は25万石、63万俵を買い占めた。しかし、全国から集まった米が多過ぎてさばき切れず痛み始める。これを代米で手当てし切り抜けた。しかし、高垣が資金不足になっていた。このままでは受け渡しが不能となるため、梅原の加藤兵八が取引先銀行を説得する。高垣は融資を受け、売り方は大きく儲けた。
決戦!米相場!黒頭巾「伊東ハンニ」との戦い
伊東ハンニの本名は松尾正直と言い、30歳前後で大相場を張っていた。バックには板垣征四郎がいるとされており、政治家、軍人、官吏との交流が深い相場師だった。
蛎殻町の仲買店約30軒に買い注文を入れたが、これが噂されすぐに伊東ハンニの買い占めが知れ渡る。この仕手戦に対し、深川の回米問屋筋は断固売り向かい、勝利した。
山崎種二は、仕手戦では特に密かに行動することを学んだと振り返っている。
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